映画感想記 『スティーヴ・マックィーン その男とル・マン』6/10まで
- 2016/06/07
- 01:01
みどころ・・・・
マックイーンの最初の嫁との息子が
ナローポルシェに乗りルマンの街を案内する・・・
当時のルマン24の映像も結構出る・・・
当時、起きたマンソンによるシャロンテート宅襲撃事件に
巻き込まれていたかもしれない話・・・
マックイーンもマンソンの有名人暗殺リストに載っており
普段の行動に用心するようになったらしい・・・
撮影に起用したプロレーサー達の災難の話・・・・
当時、近所にジェームス・ガーナーが住んでいたが
彼が映画「グランプリ」に主演したのに腹をたてて
ガーナー宅前で立ちションをしにいった話・・・
撮影開始前日の夜中にヒロインの女優とマックイーンのアシスタントとで
峠に走りに行ったが事故り近所の農家の車を拝借しようとしたら
散弾銃で脅されたムチャクチャな話・・・
当時、グルーピーが大勢いて毎日、2~3人のナオンと寝ていた話・・・
最終的には、アスベストによる肺の病に倒れる話・・・
車のブレーキパッドには、アスベスト(石綿)が使用されており
ハードブレーキングのたびにアスベストの塵が空気中を舞うのだ
それに当時は、有鉛のガソリンも使用していたせいもあるだろう・・・
マックィーンは身体の不調を訴えて医師の診断を受けた時点で、
すでに医師から「アスベスト吸引による中皮腫」であると告知されていたのだと言います。
その後も彼は映画を撮り続けながら、病気と闘い、そして病気に打ち勝つために
その後も彼は映画を撮り続けながら、病気と闘い、そして病気に打ち勝つために
懸命の努力をしました。ところが、病気が徐々に進行するにつれ、アメリカ国内では
危険を冒してまで手術をしてくれる病院がなくなり、マックィーンは映画「ハンター」を
撮り終えた後、メキシコのファレスという小さな町の私立病院で
ようやく手術をしてくれる医者を見つけたのでした。
しかし、その手術の甲斐もなく、手術の数時間後に彼の容態は急変し、
しかし、その手術の甲斐もなく、手術の数時間後に彼の容態は急変し、
1980年11月7日、スティーブ・マックィーンは帰らぬ人となってしまいました。
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